

稲荷湯の始まりは、100年以上前にさかのぼります。初代の経営者がこの地に風呂屋を営み始めたのは、駒込の亀の湯で修行を終えた後の大正3年と伝えられています。江戸時代より中山道沿いの村として栄えた滝野川がちょうど東京に飲み込まれそうになった頃。創業当時に一万人にも満たなかった滝野川の人口は、関東大震災の直後に10万人を超え、そして昭和5年に、現在の建物が建築されました。屋号は前年に隣地にできた小さな社に因んで「稲荷湯」と名付けられました。

近年では、下町情緒あふれる街並みとともに残る数少ない戦前の銭湯として人気を博し、『テルマエ・ロマエ』のロケ地など映画やドラマの撮影場所に使われ、銭湯文化を色濃く残す銭湯として幅広い方達に知られるようになりました。

稲荷湯は、築90年を迎えた2020年に国の有形文化財に登録されました。寺社を彷彿とさせる「宮造り」銭湯の中でも、三段になっている正面の破風屋根は特に珍しい仕上がりです。
脱衣場の格天井、鯉を眺められる縁側、入り口の番台など元からの意匠をそのままに、戦後東京の人口が拡大する中で脱衣場と玄関が増築され、ほぼ現在の形になりました。駐輪場の奥には、かつてボイラーに使われていた廃材が積み重ねられ、リヤカーや鋸台など銭湯の歴史を物語る品々が展示されています。

Photography by Waka Kimizuka

浴室の天窓からの日差しが、富士山のペンキ絵に降り注ぎます。いまでも、定期的に塗り替えをしているそのペンキ絵は、銭湯を楽しむ人を出迎えてくれています。
湯船は、高温、中温、ぬるま湯と3種類の湯船で好きなように時間を過ごすことができます。檜の桶は、今も続く稲荷湯ならではのこだわりです。



稲荷湯の近くには旧中山道が通り、かつては種や苗を売る店が軒を連ね、東京に作物を出荷しにきた農家が次に植えるものを買って帰る光景が日常的な場所でした。
やがて畑の畦道が路地となり、今は迷宮のように広がる小道に木造住宅がびっしり建ち並ぶ独特の雰囲気が残る滝野川地域。中山道に沿って歩けば、北西には板橋本町の宿場町、南東にある巣鴨の地蔵通りも隣町です。あるいは「狐坂」を下りると、この地域の産業化を支えた石神井川(滝野川)が王子の方へくねくねと流れています。
